こんにちは☆
今回はちょっとマニアックな話をしようと思います。
今回は銃の発達の歴史を覗いてみようかなと思いまして。
エアガンの世界からちょっと離れて、そういうのを考えてみるのも面白いかなと。
ということで今回は実銃のお話になります。
銃の歴史
銃というものが世界に誕生したのは、諸説があるものの原型らしきものが現れたのは8~9世紀頃と言われています。
中国の唐王朝の時代で、これが後の宋の時代に受け継がれ、軍隊が盛んに使用するようになります。
とは言ってもまだ銃と言えば銃なのですが、どちらかと言うと小型化した大砲に近いものだったようです。
この古代中国の銃がシルクロードを伝わってイスラム世界に到達、オスマン帝国などが戦闘で多く使用し、敵対していたヨーロッパの軍勢相手に奮戦しています。
やがて15世紀になると、ヨーロッパでも銃が生産されるように。
そこからポルトガル商人の手によって日本にも伝来したわけです。
それにしても隣の中国から直接日本には伝わらなかったのか?というところは不思議ですね。
日本の場合は宋とは戦闘状態になっていないせいか、伝わらなかったようです。
しかし宋の後の元(モンゴル帝国)は火薬を使用した兵器を使用しているようで、日本に攻め込んできた元軍も火薬による武器を使用しているようです。
しかし元軍は銃、というよりは爆発物を使った感じのようですので、当時の日本側にも銃という印象はまだ無かったようですね。
これが時代が流れて戦国時代になると、日本国内はいわゆる内戦状態に。戦国大名は全国制覇をかけて武力を高めていくことに一生懸命になっていきます。
その途中過程で銃は登場し、戦場で使用されるようになっていきました。一説によると、戦国時代の日本は世界で最も国内に銃がある状態だったとも言われています。
いわゆる火縄銃の時代ですね。
火縄銃は劣っているのか?
日本ではかなり多用された火縄銃ですが、海外では火縄銃の後に開発されたフリントロック式の銃が主流となっていったにも関わらず日本では火縄銃が明治の初期まで使用されていました。
もちろん日本にもフリントロック式の銃というのは伝わりましたが、日本の風土には合わなかったようです。
フリントロック式の銃というのは火縄の代わりに火打石を使って火花を出して火薬に着火するわけですが、日本国内では質の良い火打石が産出しなかったことがまず量産しにくかった理由。
次にフリントロック式の銃は火打石に強い火花を出させるために強いバネでハンマーが撃ちつけられます。
この衝撃が火縄銃よりも強いために手がぶれてしまい、命中精度を大きく低下させたんだとか。
結果的に世界がもっと進歩したものを使用するようになっても日本は使い慣れた火縄銃を使い続けていたわけです。
明治維新の頃に政府軍が反乱軍(西郷隆盛軍)との戦闘で新型の後装式銃を使用、勝利しました。
しかしこれが誤った認識を世間に知らせてしまうことになります。
後装式のほうが前装式の火縄銃よりも強力だと思われてしまったのです。
実際のところ、火縄銃は連射性能や射程では新型の後装式にやや劣るというのは事実ではあるのですが、火縄銃は柔らかい鉛の球体弾を使用するわけなので人体に命中した場合にはものすごいダメージになるといいます。
鉛むき出しの銃弾は当たると飛び散るので、これによって深刻なダメージを与えるというのです。
火縄銃からの発達
火縄銃は先ほどお話したようにその後はフリントロック式にとって代わられ、軍隊は火縄式の銃を使用しなくなっていきました。
日本では実質的には火縄銃の時代の終わりにはいきなり薬莢式の銃になっているので、この途中過程が世界と異なるのは面白いところ。
しかし銃にも大きな進化の時が訪れます。
まず、銃そのものの構造が変化し後装式になったこと。それまでの前装式は銃口から弾を突き入れるという性質上、どうしても銃身と弾に隙間がありました。銃身がぶかぶかで、発射されると火薬のガスは大きく弾の隙間から前へ噴き出しつつ弾を押していました。
しかし後装式の発明によって、より銃弾は銃身内を通過する際に火薬の力を有効に使えるようになったのです。
これによって銃は飛躍的に射程が長くなりました、
連発式の銃の登場
そしてもう一つの大きな変化。
雷管が開発されたのです。
それまでは火縄や火打石で火薬へ着火していたものが、劇的に変化しました。
雷管を用いた撃発機構を持つ銃をパーカッションロック式と言いますが、これをさらに進化発展させたものが金属薬莢式です。
それまでは銃本体に火薬と弾を充填して撃っていたのが、薬莢式になったことでより素早い連射が可能となりました。また、密閉式の弾薬になったことで雨などの気候に影響を受けにくくなったのです。
カートリッジタイプになったことで、今度はこれを利用して連発銃が開発されていきます。
手動ではありましたが、連続で射撃できるボルトアクションライフルが登場、各国の軍隊はこれを採用して多くの戦争に使用しています。
セミオートという意味での連発銃は最初はハンドガンから始まりました。
コルトが発明したリボルバーが最初だったと言われています。
リボルバーに金属薬莢を装備できるようにしたのがスミス&ウェッソンであり、そこからリボルビングライフルというものが開発されます。
やはりハンドガンのように近距離だけでしか使えないのでは、ということでライフル化させたものが登場したということですね。
これはリボルバーハンドガンを長銃身化したようなもの。
しかし構造的に限界があり、しかも射手の手に火花が飛んだりする欠点もあってあまり流行らなかったようです。
間もなくライフルはレバーアクションが開発され、連発式ライフルはこのタイプが一時的に主流となりました。ちょうど西部劇の時代頃に当たります。
しかしレバーアクションは構造上の問題で、ライフルでありながら使用できる弾薬が拳銃弾になってしまうという欠点がありました。
それからレバーアクションは構造が複雑でコストが高かったため、軍用としてもあまり長期間は使用されなかったようです。
結局は少しあとに登場したボルトアクションライフルが軍用銃の主流を獲得していきました。構造が単純で強力な弾薬を使用できるという点は大きな魅力だったわけです。
この時期、つまり1800年代後半には機関銃も登場します。
機関銃はライフル弾を効率よく安全に連続発射できる機構を持っています。
しかし登場当初の機関銃は非常に大きく重かったために機動力のある使用法はできませんでした。
ライフル弾という強力なものを使用しないものならば可能だということで、サブマシンガンは早々と第一次大戦の時点で登場しています。
第一次世界大戦に参加した多くの国は、自動小銃が有効であろうということに気が付き始めていました。
しかし第一次大戦の20年後に起きた第二次世界大戦でも、まだ各国はボルトアクションライフルを主力の小銃として使用していました。
戦時中に自動小銃を大量に配備できたのはアメリカくらいで他の国は遅れを取っています。
ドイツやソ連も自動小銃は開発していますし、実用化もしていますが全体から見れば少数に留まりました。
アメリカのM1ガーランドは特に有名ですね。ドイツのG43やソ連のトカレフ半自動小銃(SVT1940)も名前は知られていますが、絶対数が少なかったです。
自動小銃~突撃銃へ
自動小銃が開発されると、そこからはフルオートが可能なモデルも設計されるようになりました。
しかし通常のライフル弾は非常に威力が高く、反動も大きいためにフルオートで撃つと正確に射撃できないような状態になります。
これを考慮してライフル弾を短くしたものをドイツが開発。この弾薬を使用して運用されたのがStg44です。これは世界初のアサルトライフルと呼ばれるもの。
弾の威力はライフル弾よりは劣るものの、サブマシンガンが使用する拳銃弾よりは遥かに高いパワーを出します。
通常の戦闘には十分に使えるレベルの銃として完成、これが後の時代にアサルトライフルとして定着していくわけです。
というわけでまとめ
ということで今回は実銃の発達の歴史の一部を追ってみました。
実際にはもっといろいろな出来事があったり、日の目を見ることなく消えていった銃がたくさんあったことでしょう。
人類の歴史に大きくかかわってきた銃。
それは不幸なことに戦争の歴史でもあるのです。
さてさて。
今回は銃というもののみにクローズアップして考えてみました。
たまにはこういうのもいいですね。それでは今回はここらへんで☆
これはモデルガン。実銃に近い操作感を楽しむことができる。
より本格派という方にはエアガンよりもモデルガンがおすすめだ。
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