こんにちは☆
今日は私がこれまでに経験したことを交えながら、サバイバルゲームの歴史に触れていこうと思います。
私がサバゲーを始めたのは1991年の5月頃。
それから現在に至るまでに大きな変化がいくつもありました。
現在のようにサバイバルゲームが確立されていくにはどうだったのか?
今回はそういうことに触れてみようと思います。
1980年代のこと
1980年代というのは、まだエアガンの黎明期。
すでに現在へと続くエアソフトガンは登場してはいました。
私もこの時期にすでにエアガンを持ってはいましたが、まだまだサバイバルゲームというものが確立されておらず、単にエアガンで撃ち合って遊んでいるだけでした。
それはつまり、銀玉鉄砲で子供たちが撃ち合って遊んでいるのと同じようなもの。
その延長線上にエアガンは存在していました。
ただ、一部のガンマニアと呼ばれる種類の人たちの間では、すでにある程度はサバゲーのようなことが行われていたと言います。
しかしそれはごく一部の話。大人の戦争ごっこというような位置づけの時代であり、弾の出ないモデルガンで撃ち合ったりして気分を楽しむというような遊びがあったりしたようです。
しかし80年代の終わり頃から、徐々にサバイバルゲームが発展し始めていました。
BV式ガスフルオートガンが発売され、フィールドではそれを使用したサバゲーが行われるようになっていきます。
・当時のエアコキハンドガン
現在ではほとんど見かけることがなくなりましたが、当時は自分で組み立てるタイプのエアガンが発売されていました。
機種としてはエアコキのハンドガンが多かったと思います。
これは面倒なものだと思えるかもしれませんが、実は大きな利点があります。
自分自身が組み立てるからこそに、内部構造を熟知できるのです。
故障や不調が起きた時に自分で分解して調べるということがしやすいということですね。
進化していく過程
90年代に入り、次第にサバイバルゲームが発達していくようになります。
まだ周囲の人が使用しているエアガンと言えばエアコキかBV式。
私もBV式ガスフルオートガンで多くのサバゲーを経験しました。
この時点で電動ガンは登場間もない頃。
発売はされたものの、私の周囲にそれを持っている人というのはいませんでした。
それでも94年後半頃からは私の周囲にも電動ガン装備のサバイバルゲーマーが含まれるようになり、そこから2年ほどのうちに爆発的に電動ガンが普及しました。
94年前半にはBV式装備の私が初めて電動ガン装備の相手とゲームするという状況が発生。
その高いクオリティに驚き、私自身も95年初頭には電動ガンへと装備改変しています。
・この時代のサバイバルゲーム
この時代はいわゆる「サバゲー暗黒時代」と呼ばれる次期に当たります。
BV式が全盛期を迎え、電動ガンの登場によって衰退。
しかしまだ法規制などが敷かれておらず、パワー制限という意味では野放しの状態。
発売直後の電動ガンもまだホップは搭載されておらず、エアガンの飛距離を伸ばすためにはパワーを上げることでしか行えないという状況。
それがエスカレートしていき、次第にハイパワー化の一途を辿っていました。
しかし90年代後半に差し掛かると、この動きにブレーキをかけるサバイバルゲーマーたちが登場するようになります。
もともとそういう人もいたのでしょうけど、この時期以降はパワーを自主的に制限しようという流れが強まっていきました。
ゲームでの怪我人や危険な性能に改造したエアガンによる犯罪が多発したためです。
チーム活動時代
90年代後半から2000年代前半は、インターネットの普及により、爆発的にこのジャンルは発達しました。
エアガンのカスタムはどのようにすれば良いか、また、サバゲーする仲間をネット上で募集したりするというようなことが一般的になっていった時期です。
私も流れに乗る形でチームとしての活動を行いました。
1997年頃に仲間内でチームを結成し、各地のイベントやゲーム会などを転戦しました。
2003年頃まではチームという団体を名乗りながら、遠征活動をメインにサバゲーしていたわけです。
2004年に入ると、チームを一新して遠征活動を縮小、自力での開催を行うようになっていました。
借りた私有地のフィールドをホームにして、毎月1回~2回程度のサバゲーを開催していました。
この活動は2014年にチームを解散するまで続きます。
・この時代のサバゲーの世界
2000年代に入ると、だいたい全国共通のサバゲールールみたいなものが確立されていきます。
ヒットの判定やパワーの制限などですね。
これもサバゲーが次第に世間から注目されるスポーツになっていったため。
テレビなどのメディアに取り上げられるようにもなっていきましたし、サバゲーの知名度そのものが大きくなったからでしょう。
2000年代前半頃には電動ガンのカスタムというのは全盛期を迎えており、ハイパワーやハイサイクルなどのカスタムが発達しました。
しかし、同時に凶悪なパワーを出力するようなエアガンもまだ多く存在していた。
過去の歴史をなぞるように、それが犯罪に使用されたなどということが発端で、2007年にはついにはエアガンのパワーを規制する法規制が行われるようになったのです。
2010年以降~現在
2010年以降、サバゲーの世界は新しい時代を迎えました。
海外から輸入されるエアソフトガンが激増し、国内メーカーのエアガンと海外製エアガンがフィールドで混在するようになってきています。
当初、海外製の電動ガンなどは、とても日本のサバゲーに使えるようなものではなかったのですが、近年になって劇的に高性能化しています。
箱出しのノーマルでありながらも、十分に国産のエアガンに対抗可能な性能を持っている機種も出てきています。
やはりクオリティを上げていかないと売れないということなのかもしれませんね。
・フィールドも発達している
そして大きな変化としては、フィールド。
有料の屋内、屋外フィールドが爆発的に増えているのです。
それはつまり管理された場所で安全にサバゲーができる環境が整ってきていることを意味します。
初心者が安心して参加できる場所が整備されているのはとてもありがたいこと。
これもやはりサバイバルゲームというものが世間に定着してきた結果なのでしょうね。
定着してこれば知名度も高くなり、やってみたいと思う人が増える。そうすればビジネスとして確立できるようになるわけで。
こういう流れができていけば、ますます発展していくのではないかとも思います。
・私はというと
私自身はチーム解散後は個人的に活動しています。
チームという概念は無いものの、周囲の仲間と年に数回程度のサバゲーを楽しんでいます。
その多くがナイトゲームで、昼間のゲームの頻度は以前ほどではないかな。
現在はそんな状況ですが、どちらかといえばエアガンのカスタムや外装自作のほうがメインになっているような気もします。
一緒にサバゲーする仲間の電動ガンをカスタムしたり、好きな外装を作ったりする感じですね。
終わりに
ということで今回は私が体感しつつ進んできたサバゲーの歴史について話してみました。
こうして振り返ってみると、長く活動するのもなかなか面白いものだなと思います。
多くの人は何十年もの間、同じ趣味に携わるということが無いのかもしれません。
でも、ここまで続けていると、それはそれで色々な体験を積み重ねていけることでもあるわけです。
それに続けていると変化を間近で体感できる。
これも趣味の醍醐味のようなものですね。
サバイバルゲームというものが安全に楽しめ、より普及していくことをいつも願っています。
それでは今回はここらへんで☆
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