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「大日本帝国軍の銃火器」

2017.08.28

カテゴリ:その他

こちにちは!本日は「大日本帝国軍の銃火器」についてです。


大日本帝国軍の銃火器

第二次世界大戦において、大日本帝国陸軍は太平洋戦線や大陸戦線で苦戦を強いられました。その原因は兵站の確保など、戦略的な問題もありましたが、前線での問題は兵器の違いです。

特に太平洋戦線では、アメリカ軍の歩兵部隊が装備する最新の銃火器の前に力の差を見せ付けられます。そこには圧倒的な工業力の差という要因もありましたが、一方で旧式の武器で戦う日本兵の勇姿にロマンを感じる人も少なくありません。

では、なぜ第二次世界大戦ではそこまで銃火器の性能に差が出たのでしょうか。

その答えは両軍の戦争経験にありました。

第一次世界大戦に遅れて参戦したアメリカ軍は、ヨーロッパで敵の塹壕に苦しめられます。接近しようにも、敵の重機関銃陣地は守りが固く、突撃などしても被害を増やすだけの状況でした。そこで砲撃によって敵の塹壕を潰してから近接戦闘を行ったのです。

そうした教訓から、アメリカ軍では射程や命中精度よりも連射性能を重視して、セミオートライフルやサブマシンガンなど、近接戦闘における制圧力の高い銃の開発に力を入れました。

一方で日本軍の経験してきた戦場は、広大な中国大陸です。塹壕もない平原では300m以上の射程で撃ち合うことも多く、連射性能よりも命中精度が求められたのです。その結果、日本軍の歩兵部隊は主力のボルトアクションライフルと支援の軽機関銃という組み合わせになりました。特に日本軍のボルトアクションライフルは命中精度が高く、これを精度が劣るセミオートライフルに切り替えようとする発想が無かったのです。

三十八式歩兵銃

その代表が、「三十八式歩兵銃(さんはちしきほへいじゅう)」です。

三十八式歩兵銃
陸軍の有坂成章(ありさかなりあきら)大佐が明治30年に開発し、日露戦争では陸軍の主力となった三十年式小銃の改良型です。三十年式小銃は、ドイツのモーゼルライフルなどを参考にしつつも、ドイツで主流だった7.62mm弾より小口径の「6.5mm弾」を採用しました。大口径弾よりも威力や射程距離では劣りますが、貫通力と命中精度では小口径高速弾のほうが優れており、ロシア軍の小銃よりも圧倒的な性能の差を誇りました。

しかし、中国大陸は場所により気候が厳しくなることもあり、不具合も発生します。そこで有坂の部下であり、自らも銃器開発を行う南部麒次郎(なんぶきじろう)少佐が中心となって三十年式の小改良を行います。改良といっても三十年式の完成度が高かったため、部品点数の削減など、本体はほとんど手を加えられないまま、明治38年には三十八式歩兵銃として陸軍に仮採用。翌年には制式採用されました。

現在でも海外では、三十年式から始まる日本軍のボルトアクションライフルは人気が高く、「アリサカ・ライフル」の総称で呼ばれています。

しかし、第二次世界大戦が勃発し、南方の密林での戦闘が始まると、三十八式歩兵銃の1,276mmという全長は取り回しに不便であり、6.5mm弾では近距離での威力不足が指摘されるようになりました。

そこで、全長1,118mm、7.7mmの大口径実弾を使用する「九九式短小銃(きゅうきゅうしきたんしょうじゅう)」が開発されます。銃身の短縮化、重量の軽減、射撃時の安定性を高めるため単脚(モノポッド)を装備するなど、三十八式小銃と同じボルトアクションでありながら、多くの変更点が見られます。

工業力の問題で、大戦中にすべてのライフルを三十八式歩兵銃から九九式短小銃へ変更することは出来ませんでしたが、当時はドイツ軍のKar98kやアメリカ軍のスプリングフィールドM1903といった同世代の主力ライフルと比較しても優れた性能を有していました。

ちなみに九九という数字は、「神武天皇即位紀元」、略して皇紀(こうき)という日本特有の暦に当てはめて付けられたものです。皇紀とは、初代天皇である神武天皇が即位した年を元年として、明治に制定されました。第二次世界大戦中は西暦を用いずに昭和という元号か、皇紀を用いたため兵器の名称には末尾二桁の数字が使われたのです。九九式は昭和十四年、皇紀2599年に仮制式採用されたためにこの名称となりました。

九九式軽機関銃

もちろん、日本軍で使用されていたのはボルトアクションライフルだけではありません。

三十八式歩兵銃を持つ日本兵
九九式短小銃と同時期に採用された「九九式軽機関銃」は、弾薬も九九式短小銃と同じ7.7mm弾とすることで、弾薬の生産、補給の効率化を図っています。

三十八式歩兵銃をベースに九九式短小銃が大口径化したのと同じように、九九式軽機関銃も6.5mm弾を使用する九六式軽機関銃をベースに7.7mm弾を使用できるようにしたものです。

上部に弾倉(マガジン)を配した外観がイギリスのブレン軽機関銃に似ているため、設計もその影響を受けていると思われがちですが、内部機構はフランスのオチキス機関銃に近いものとなっています。

もともと九六式軽機関銃の性能が良かったため、その構造を受け継ぐ九九式軽機関銃も命中精度や信頼性が高く、実戦での評価も高いものでした。

百式機関短銃

また、サブマシンガンでは唯一、百式機関短銃が日本軍で採用されました。アメリカのトンプソンや、ドイツのMP18といった短機関銃(サブマシンガン)を研究して作られ、最終的には南部十四年式拳銃と共通の8mmナンブ弾を使用することになります。完成した百式の外観は、弾倉を左側面に装着するなどMP-18にも似ていますが、全長872mmという短さから多くのバリエーションを生み出しました。

特に海軍落下傘部隊用の百式は珍しく、銃床(ストック)に蝶番を取り付け、降下時には右側面に折りたたむこともできたのです。

この他にも第二次世界大戦中は、様々な銃火器が投入されましたが、やはり主力がボルトアクションライフルであったこともあり戦局を覆すことはできませんでした。しかし、日本の敗戦後は、東南アジアの各地で植民地支配からの独立を掲げた勢力によって使用されたり、九九式短小銃は自衛隊発足後も一部で使用され続けたのです。